生命維持装置と言えば、人工呼吸器が代表的です。今后科学技術の進歩に伴い実用的な人工心臓等が恒久的に使われるようになれば、生命維持装置のカテゴリーは拡がって行くでしょうが、今回は人工呼吸器と脳死について考えてみたいと思います。
さて、T県I病院に関する報道は、数カ月で移り行くサプリメントブームと同じだったのでしょうか?
メディアはなぜ、事実・真実を追求しないのでしょうか?
それとも、私がTVを殆ど見ないから知らないだけ? でもスタッフも知らない。
人工呼吸器がなかった時代は、心停止をもって「死」と判定していたのですが、現代は臓器移植の懸案も加担し、「脳死」という言葉が登場しています。さらに延命や緩和医療の現場では、「安楽死・尊厳死」という言葉も聞かれます。
私の医者としての概念を伴う「死」の語彙の中には「自然死・病死・事故死」しかありません。「安楽に生きる」「尊厳を持って生きる」という言い方はありますが…。
救命救急の現場では、救急車が到着すると一刻一秒を競う処置が施されます。呼吸もしておらず、心臓も止まっていれば気道確保のための挿管をしてルート(点滴用)をとって、出血部位があれば止血して、心臓マッサージ、同時に昇圧剤、それから…色々と…。
そしてめったにないことですが、心臓が動き出せば、人工呼吸器を装着するのです。その後、自発呼吸が出現すれば蘇生したということになります。 しかし、数日経っても自発の呼吸が出現せず、心臓が動き続けていると、主治医の頭の中に「脳死の状態かな?」という思いが湧いてきます。
昭和60年厚生省は脳死判定の為の「基準」を、平成3年には 「補遣」というものを提示してくれました。(詳しい事は、ネットの「脳死」で検索して下さい。)
私はその中の無呼吸テストというものは脳死判定後の確認所見として受け止めています。また私は必ずABR(聴性脳幹反応)検査も行います。そして、色々な項目で確認作業が続きます。2人の医師が数日の間をおいて二度各種検査をし、脳波、反射等々の結果を受けて「脳死」の総合判定が成されます。
のべ6人の医師が真剣に関わる世界です。決して、いい加減なことや曖昧な事があってはならない事態なのです。ロックイン症候群や植物状態、ALS(筋萎縮性側索硬化症)等を「脳死」と間違える事は決してないのです。
ところで「脳死」と判定された場合の後も一様ではありません。
脳死状態でも人工呼吸器を装着していれば心臓は数日から数カ月間動き続けます。心臓は電気的な自動能というものを備えているから、酸素と点滴さえ供給されればしばらく動き続けるのです。 どーしたら良いのでしょうか?
昔と同じように心臓が止まるまで医療行為を、そして家族の付き添いを、高額医療費負担を続けるのでしょうか?
ある患者さんの病理解剖(剖検ともいいます)に参加したことがあります。脳死判定から1週間程経過されていました。通常、脳は結構硬めの組織なのですが、脳をくるんでいる硬膜を切り離し取り出そうとした時、あまりの柔らかさにビックリ!指の間からこぼれてしまうのです。まるでちょっと硬めのヨーグ○トの様(食品メーカーさんゴメン)「これが脳死の脳だ!!」融解壊死という蛋白変性が起こっているのです。決して目覚めることも、決して微笑むこともありえない、人の死。
脳死の総合判定後、家族にそれを伝え今后の相談をします。
家族の同意があって初めて人工呼吸器を止めるのですが「まだ、しばらくこのままで…」と言われることが多い。
私は生きている人の思いを汲みたい医者なもんだからそのままが続く。 「この暖かい身体に触れていたい」
あー、その気持ちわかります。
脳死を人の死とするならば、厚生労働省はその厳密なる脳死判定後の人工呼吸器の扱いをも基準化すべきである、と私は考える。
