実際のところ「呼吸法」と「法」をつけるのは、自然の営みに意をもってコントロールしようという傲慢さを私は感じてしまう。
それは「方法」の法と捉えるからであり、「法則」の法と捉えると、また異なる感じを受けるものだ。
チベット「永遠の書」の中で、著者 テオドール・イリオンは日々の生き方が如何にリラックスできているかによって必然的に、呼吸の仕方が決まってくる という内容を述べている。
生活への不安もなく病気や死への恐怖もなく、森羅万象、流転する物事に敵対するものなどいっさいなく、変化を受け入れる勇気と知恵があれば全てを慈しみ、感謝の思いで生きていられるのだろう。
きっと、吉田兼好や良寛は安静時には1分間に2〜3回の呼吸だったのではないかと思うのである。
