小さな命が果つる時、この手の中に世界中の悲しみと悔しさが鉛のように重く、冷たく滲み込んでくる。 ガックリと垂れたコウベに、「ご苦労様でした」とも「素晴らしい体験でしたか?」とも語りかけられない。 ただ無言で私は生まれ出ずることの意味を探す。
在ることは、未知の体験と無限の可能性と選択しきれない多様性を秘めている。
この世に産まれたばかりの存在も、幼い存在も老いた存在も広大な未来の多様性からみればほぼ同等に位置するのかもしれない。
何故、幼い存在に対して感傷的な深い悲しみが湧いてくるのだろう。 親御さんのこの世のものとは思えない号泣が聞こえるから? 魂の抜け殻のような蒼白の放心状態に接するから? 大きな悲しみの波動の中で、今まさに芽吹こうとしている意志が消え去ってしまったから?
体験を重ね自己の可能性を拡大させ、在り方として進化していくことが生きる目的ならば、生まれ出ずることも体験の1つであり、充足・不足の尺度を超えて意味あるものだと思える。
本人の意識の変化や成長は他からは推り知れないものであり、感傷的に善し悪しと分別する領域ではないと識る。
生きていることは、皆同様に今その時の選択を自己の意志でくり返していける権利を持っているということであり、次の瞬間の飛躍を内に持っているということである。その意味では、すべての人が可能性という芽を沢山持っていると私は考える。
