この1年、私のメモ帳からアトランダムに
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肯定するということは、しばしば詭弁となる。
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人は相応しき所に流れ着く。
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五感を使わない人は恐れが増していく。
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私には、物心ついた頃から桁はずれの正義感がある。しかしながら、それが私の人生を苦悩に満ちたものとした。60歳になろうとしている今でも、その正義の拠り所となる善・悪の定義や、似かよった現象の中にある二律背反などを見極める為の自己練磨が続いている。そして。やはりか…。と思うことは、私心を滅し、つまり動物的本能としての恐れから来る利己心を消去し、この宇宙に存在している一つの意識として、ただあるだけの実在の目となった時、無限の自由度の中から唯一無二の答を教えてくれるもの。それは、私の中にある霊性に他ならなかった。
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物を最大の価値として巨万の富を築いて来た人達。彼等の欲望は際限なく、地球から、穏やかな人々から搾取し続けるのです。そして彼等の最大の恐怖とは、存在価値の真理が提供されることなのです。
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対立概念に出会うと驚きが生じる。そしてそこから何らかの衝動が生まれる。それこそ本質存在としての魂が求めているものなので、二元性は永遠に、この宇宙から消えない。
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正当化の根拠も植え付けられた、くだらない固定観念にある。言い逃れなんて出来ない。事実が真実なのだ。単純に現実を見よ。
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我々の住む現象界は未知のもので溢れている。
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spiritual rehabilitation:心のアンバランスが生体磁場の乱れを生み、肉体における物質化に歪みをもたらす。そして心のアンバランスを修正しうるのはspiritualなエネルギーしかないのだ。
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生の縁と死の淵…B.C.1世紀エッセネ派の誠実さ?何故へ?
バチカン・ローマ法王・イルミナティ その構図とは?
宇宙人との経緯、人身コントロールの為の宗教、偽りの伝説・伝承。
経済・金融の支配。イエスは実在したが聖書には虚偽が多い。
つまり中世ローマ・カトリックは世界征服の野望を抱いた。 -
近未来、宗教は無くなる。以下、私見ではあるが、その理由を述べる。
仏教は哲学・人間学である。儒学は統制・倫理学である。
イスラム教は威圧・服従学である。キリスト教は集団社会マナー学である。
いずれも規範を必要とする学び・真似びのレベルの時代に、民俗にとって滅亡回避の為に有用だったものだ。生存することに必死だった時代。歴史は人類の成長ぶりを物語ってくれる。現代、この地球上は多種雑多な成長レベルの民族の棲み分けが崩れて来ており、収拾不能な混乱が訪れている。政治も経済も文化も歴然とした位置付けにおいて企業の利益追及と、各々の民族の劣等意識の裏返しとも言える近代化へのあせりから、かつての各宗教の教義は実利的な名目として利用されるだけのものになってしまった。
宗教が規範として尊重されていた時代から、自己弁護の為の手段として利用されてしまう時代へと変化してきたのだ。となると、それら宗教は一つの文化的遺産として形骸化してしまった方が、社会の安定に寄与するというものだ。
では、これから何を規範として遵守するべきなのか?それは、もう「モーゼの十戒」を頂いたレベルの人類とは違う我々という認識と、他者に配慮するという意識の拡大と、現実的な分かち合いのシステム化、それしかないのだ。
