丸山所長のメッセージ(2007年)
2007年1月
新年あけましておめでとうございます。
1月も下旬になるというのに、当地 新潟市には雪がありません。穏やかな日々が続いています。異常気象の結果とは解っているのですが、青空を見るにつけ幸福な気分になります。
生きていること。存在していること。悠久の時から遮るものなく綿々と、そして広大無辺の空からも、すべての継がりを実感させてくれる歓び。小さな1分子の意識が体験しうるもの、その偉大さに息を呑むのです。そんな訳のわからない感謝の思いで、本年も頑張っていける気がします。
一つでも多くの笑顔に出会いたい。愛と智恵と勇気を持って。
2007年2月
シリーズ4 医の話
今月は「科学信仰」をテーマにして私の想いをメッセージに載せようと思っていましたが、語彙と構成が定まりません。一年前「西洋医学」で問題視している事柄をお知らせしました。その時点で5年前に書き上げていたものなので、発想から6年経っています。その間、科学や医療の世界だけでなく私自身も変化してきているようです。公に表現するとなると、ちょっと調整が必要! と言う訳で先送りさせて下さい。
2007年3月
今月もメッセージはお休みさせて下さい。
この春は診療所の庭のプールにカモが訪れ、3羽でのんびり漂っています。東京ディズニーランドの人工池の光景に似ています。ポップコーンは浮いてませんが…。
2007年4月
脱線話で「CO2」
現在、地球という星の生態系が変わりつつある。絶滅危惧種が年々増加し砂漠化も進行中。天変地異の規模も大きくなっているように思われる。このまま進行していくと、私達人類の存亡に関わる事態であることは察しがつく。北極圏では氷が溶けており、衛星写真では年々縮小しているとのこと。毎日東京ドーム300個分の面積の熱帯雨林を含む森林が伐採されているそうだ。「地球温暖化」はCO2排出が大きな原因であるという考え方で京都議定書☆1が作られた。現在、全世界でのCO2排出量はアメリカ1位、中国2位。両国合わせて約40%を占める。その両国は決して議定書にsignをしない。
太古の時代、地球の空気に酸素は殆ど無かった。まだ混沌とした幼い生態系の中で。そう、まどろみの海の中で、ある藻が繁殖した。現代ではシアノバクテリアと命名されているその生命達がCO2を取込み酸素を放出した。何億年も時が過ぎ地球の大気は調和という循環生態系を獲得し、酸素21% 窒素78%に安定した。その時から変異で生まれ出た種が発展することが可能になった。そして地球は多種多様な鉱物・植物・動物を育む母体「愛と調和」の星になった。
私達人類はそこから産まれた…。
もう14年程前になるが、私はその頃人類最古と言われていた200万年前のホモ・サピエンスの頭蓋骨(現在は700万年前のものが南アフリカにある)を見る為、それとエイズ発祥の地での医療体制及び人々の暮しや性愛傾向を見る為、それと山登りをする為にタンザニアへ赴いた。旅の途中、アフリカの砂漠化を阻止する為に国連から依頼を受けプロジェクトを推めていた農業研究者のT氏と出逢った。色々な話を聞いた。何時間も議論は続いた。私の中で自然観が変わっていく事に気付いた。
(ここで一言。私のメッセージはあくまでも私個人の考え、思いであることを読者の方々、忘れないで下さい。私は自己分析では「清貧高潔なナチュラリスト」なのです。)
私達人類には色々な民がいて、その住まう環境、生産物等により独特な文化・風習を持つものだ。それは文化人類学的にとても自然なことで、先祖の智恵が結集しているものだ。例えば放牧・遊牧は草原を根絶やしにしない為に古来から続けられてきた手法なのである。ところが国の政策という名の下で定住が推められ、生産性の低い土地は緑が消えてしまう。自然の姿が変わるのは人の姿が変わることによる。アフリカでワジ☆2にはまって横転したジープを起こしてくれたのはマサイ族の人達だった。彼等は国定公園の中で定住させられ小屋の脇の小さな畑を耕していた。文化を台無しにする政策にそれを購うだけのメリットを私は知らない。
当院では、というより私の医者としてのポリシーによるものだが、全ての患者さんに日本人的な食し方を推めている。腸の長さも違うことだし、食の欧米化つまり高カロリー食の増加や小麦粉の頻用は日本人の身体に合うとは思えない。縄文時代から農耕定住の民だった大和人。その食の特長は昭和初期にも残っていた。戦後、牛乳・牛肉・小麦粉、近年は砂糖の消費が増えている。メタボリックシンドローム当たり前!! 今や日本人の野菜消費量は漸減し、漸増しているアメリカを下回った! どーする? 菜食主義の民が自分達の食文化を捨てて、不健康にまっしぐら…。牛は牛車を牽いたり田畑を耕していた。馬は荷役の主役だった。大和の民は原則として四つ足動物を常食としない。牛乳はリンが多すぎる。腸でのカルシュウム吸収の効率は良いが、骨には入らない。ただ高カロリーなだけ。育ち終わった年代に牛乳はいらない。骨粗鬆症が恐いなら重力負荷をもたらす運動をすれば良い(大学勤務時代、日本○○栄養大と協同研究を行ったが、牛乳摂取量と骨塩量は無関係で、運動が影響ありとの結果だった)。偏食や栄養吸収障害がある人達は別だが、自分にぜい肉が多いと思う人はカロリー摂りすぎなのだから高カロリー食品は控えよう。以前のメッセージでも伝えたが、同じカロリーを摂る為に植物なら「1」牛なら「20」の広さの土地が必要になる。
地球から緑が減っていく。CO2を取込み酸素を放出してくれる緑が無くなっていく。石油資本や、経済発展第一主義の政策がCO2を減らすとは思えない。では、もっと緑を増やさねばならない。バイオエーテル(とうもろこしから取れる燃料でガソリンに3〜8%混ぜるもの。それ以上だとエンジンを変える必要がある)も良かろう。しかしながら到底間に合わない。地球の衣としての緑は放射冷却作用と酸素量の維持に必要不可欠なものだ。牛・紙・植物性油脂。これらの消費が緑を減らしていく。
シアノバクテリアは酸素をもたらし地球に生命の多様性を目覚めさせた。何十億年もかけて永らいだ調和が今、壊れていく。もし知的生命体が未来の地球に住んでいるならば、こんな風に記録されているだろう。
かつてアーリア文明(ホモ・サピエンス)ありき。経済発展という大義名分の下、緑を刈り取りCO2を放出し続け、地球の生態系を変え、その不調和と飢餓による争いにより、ほぼ絶滅す。
注釈
☆1 1997年12月11日に地球温暖化防止京都会議で議決した議定書。
☆2 アフリカ大陸やアラビア半島の、降雨時にだけ水が流れる川。
2007年5月
今月はお休みさせて下さい。
2007年6月
「平等」
貧しき者は幸いである
つつましき者は幸いである
地球の富は全ての存在者のもの
近未来社会ではそれらは公平に分かち合われるであろう
食べることを心配している人達には食糧を配ろう
病いに苦しんでいる人達には健康を
宝石を欲しがる人達には石を
土地を所有したがる人達には大地を
そう 大いに耕しなさい 朝から晩まで
大いに欲しなさい
そして 本来 求めるべき物を知りなさい
貧しき者は分配されたものを大いに喜び
富める者は物足りなさに怒るであろう
人として存在することの誠実さを識ることなく
唯物の波に翻弄され溺れてしまうだろう
飽くなき欲望は人を窒息させるであろう
あなたは何を欲しているのですか?
2007年7月
シリーズ4 医の話(その11) 科学信仰(1)
プロローグ:天変地異21世紀
「またこんな大きな地震を経験するなんて…」
新潟県中越地域から通院されている患者さん達は異口同音に話される。
古くから「火の国」つまり火山が多く地震も頻発するため、そう呼ばれる事もあった日本。自然の営みの中で通常・日常に慣れてしまうのがヒトの習性である。そして異常事態にホンロウされ続けてきた人々の歴史。そんな驚異に対して 「成す術あり」 を理想目標として科学は利用されてきた。
15世紀ルネッサンスの頃、ガリレオの「地動説」もニュートンの「引力の法則」も真理への探求心と自然への知的好奇心により法則が見いだされた。レオナルド・ダ・ヴィンチは眼鏡を使い中世カトリック教会に叱られた。そんな時代から約500年が過ぎ、現代の先進諸国はどんな風に発展したのだろうか?
ホログラフィー、水素エンジン、携帯電話、ファイバースコープ、MRI、遺伝子工学、バイオケミカルナノテクノロジー…etc 私が子供の頃「空想の世界」にあったものが現実化している。
それで? それで? それで?
震度6の地震で原発の敷地内から黒煙があがるの?
倉庫に置いてある核廃棄物を入れたドラム缶が倒れフタがあいちゃうの?
私達の住む世界はとても奇妙なことが起こる。人智の持つ驚異的な科学力と現実にそれらが活用されている貢献度との間に大きな違いが見えることがある。それらはさも「科学万能」であると思い込んでいる傲慢さから生じてしまうヒトの怠慢が引き起こすのであるが…。本質的に科学は認識論であり方法論であり手段である。使い手はヒトであり、ヒトの意識である。
話は変わって、天災に対する行政では私はすぐ「姫川治水」という公共事業を思い起こす。天変地異が起こるとき天災と人災が混じり合う。避け難き事は仕方ない。しかし避けられたかもしれない被災に対しては二度と起きないように対策を練り実行に移さなければならない。1964年新潟地震の時、私は線路の枕木にしがみついて四つ這いになっていた。波打つ線路を見て「地球最後の日」だと思った。今回の地震では自宅台所で食器棚を押さえていた。ベニヤ板で補高していたが、もうちょっと補強することにした。
被災地の方々だけでなく、心を痛めている人々の労は想像を絶するものであると思う。
でも、うなだれないで!! 顔を挙げて! 人智と経験を統合して未来に教訓を残すべく、やるべきことがあるはずだから。
2007年8月
メチャクチャ忙しいのでお休み!
2007年9月
今月もお休みさせて頂きます。
2007年10月
スタッフ募集 !!
“東洋医学、生薬、波動医学に興味のある方”
資格:不問 (医師、薬剤師、臨床検査技師、鍼灸師…高卒等、いろいろ可)
※11月8日 薬剤師以外の募集は終了しました。薬剤師は引き続き募集中。
年齢:20歳代
業務内容:資格、経験に応じ、多種あります。
給料等:面談の上
申し込み:平成19年11月1日〜11月22日の間、当診療所に電話連絡を下さい。
面談・試験:履歴書送付の後、日時(11月中)を連絡します。常識的な基礎学力試験及び口頭での質問あり。
採用期日:平成19年11月21日〜平成20年3月21日
試用期間:2ヶ月
(当診療所は現在、医師3名、理学療法士1名、調剤補助1名、診療補助1名、事務1名で計7名の稼動です)
2007年11月
シリーズ4 医の話(その11) 科学信仰(2)
「ゴホッ、ゴホッ…」「おとっつぁん、今日はお給金でるから帰りに薬を買って来れるからね」けなげな娘は病弱な父を残し、油問屋へ勤めに出た。入れ替わりに朝帰りのプー太郎兄さんが帰ってくる。質屋に持っていけそーな物を探しはじめるが「チッ!相変わらずしけた家だ。何にもありゃしねぇ…」「プー太郎、お前仕事探しているのか? ゴホッ、ゴホッ…」「こんな不景気なご時世だ。いい話なんかねーよ」と言い捨てて、また出かけて行く。
江戸時代も250年位経った頃、幕府の為政はマンネリ化、お役人さん達は怠惰の極みで財政難が続き、公共事業も減ってきてプー太郎さんも日雇い人足仕事にめったにありつけない。一方、両替商や油、海産物、呉服等の問屋(よっ!越後屋)は確実に資産を蓄え、のちの財閥・コンツェルンの基盤を作っていく。
夜のとばりの中、金もないのにホロ酔いのプー太郎さんは賭場に向かう。帳場で借入れを申し込む。利子が利子を産み、借金は20両をこえている(サラ金泥沼状態!)。自己破産なんていう、おめでたい制度もない。そのうち取り立て屋に追い回されて、悪業に引きずりこまれてしまう。それも知っていて、そう、シナリオはあるのだ。「お前、妹いたよな?」「あぁ」 1両借りた。「さぁー、はった、はった」「半か丁か?」
この世界の事象は半と丁(賭場で半は奇数、丁は偶数を指すが私は半はどーしても1/2と感じてしまう)、1と0、整数と端数・循環小数や素数、複素数等々、色々な表現形式をもって数学的、科学的に表記されうる。そもそも科学とは、この世界に存在するありとあらゆるものの間にある関係性を見い出す為の手法である。具体的には、客観性、理論性、再現性を備えている方法論を科学的と言う。そして科学は新しい知見や現象の分析力向上により従来の理論がくつがえされたり、いくつかの理論が統合されたりして変遷していく。その過程を経る度に科学は学問として成長していくのである。
私は現在、日本で提供されている医療および大学医学部で教えられている医学を20世紀型アロパシーと呼びたい。化学反応及び生化学反応、物質の同定、生理学、動物実験での検証etc. 「物 対 物」の関係性のみを追求した結果として、対症療法の域から脱することができない医療であると認識している。では、21世紀型アロパシーとはどういうものを指すかと言うと、まず1人1人の遺伝子構造を解析・把握し、その人の症状を柔らげる薬として副作用の最も少ない物を提供できる可能性があり、次に検査では放射線被爆量を最小にするため分子レベルでのラベル化が可能となり、解剖学的及び生理学的に必要な検査領域のみを検出しうる画像や検査値を得られるようになるであろう。さらに治療ではマイクロカテーテルやカプセル型の器具が遠隔操作により病変部位に到達でき、身体への侵襲を極力小さなものに抑えることが可能になるであろう。しかしながらアロパシーは、その辺りで限界を見るのである。21世紀は「物 対 物」の唯物的手法が通用しない時代の幕明けとなる。そこで科学は、特に医学は遅れて物 対 エネルギーという領域に進んでいく。
本年末。欧州合同原子核研究機関(CERN)での高エネルギー粒子衝突型加速器実験は、恐らく理論物理学者リサ・ランドールの説を裏づけるものになるであろう。そして、この宇宙の始まりや遠い未来の姿が垣間見れ、この3次元世界に訪れてきたり、また去っていったりするもの達、次元のカーテンの裏にいるエネルギー達の姿や特徴を示唆してくれるものになるだろう。
この世界は、あまねく振動するエネルギーで構成され、本質的に大きく分けると2つのものしかない。「丁」のボソン(完璧なる存在、振動数は整数倍、遊離しうるエネルギー)と「半」のフェルミオン(不完全なる存在、振動数に1/2がつく、他の物とくっついて物質となるエネルギー)。光も重力もボソンである。地球を丸く、真ん中の核に結び付けているのは弱い相互作用としての力(ウィークボソン)である。
私達人間もボソンとフェルミオンが組み合わされて存在している。意識はボソンである。生命エネルギーの源は特定の振動数を発し、DNAらせん構造内マトリックスの光子(photon)に影響を及ぼし閾値を越えた場合、特定ゲノムの起動遺伝子にスイッチが入り、その遺伝形質が発現される。私達の持つDNAは系統発生、つまり生き物としての歴史を胎児の時に表現する(えらが認められるなど)ことから実際には使われない、またはよほどのことがないとスイッチONにならない遺伝子等、休眠遺伝子を沢山持っている。〜ある科学者は92%は意味不明の役立たず遺伝子と命名しちゃった。
1940年ペニシリンが発見されて以降、近代西洋医学は本質的に同じ路線上にある。情報処理や器具の小型化は進んでいるが、基本的に疾病の根本治療には無力だ。血圧が高ければ降圧剤をずーっと服用。癌があれば取り除く。痛みがあれば痛み止め!! あ〜あ切りがない。「治さず死なさず」が続いていく。医学・医療が進歩しているのであれば、患者さん達の本当のニーズに答えられるように変化していくはずだ。
私は、いわゆる西洋医学と東洋医学の両方を患者さん達に提供している。臨機応変の使い分けが必要となる。東洋医学と言っても、内服は生薬の煎じ薬を調合し、経絡治療は最新のカラー治療というものを使っている。色の発する周波数が経穴から患部に届き、数分後に痛みが消えたり少しづつ癌が小さくなったりする。これは肉体として顕現されている物質に「丁」のエネルギー:ボソンが影響を及ぼしていることになる。
2007年12月
シリーズ4 医の話(その11) 科学信仰(3)
漢方? 東洋医学? 「フン、そんなもん科学的でない」 と一笑に附す輩がいる(特に医者)。果たして彼等はどーいう意味で科学的と言っているのか? 例えば外科手術の時の全身麻酔のメカニズムは今もってよく解っていない。つまり、経験的に数多く実際に使われているから使っているのである。「麻酔で眠らせる」 とんでもない考え違いなのである。通常の睡眠時は痛ければ目を覚ます。しかし麻酔時は目を覚まさない。メスで切っても臓器を切り離しても、何をしても目を覚まさない。つまり我々の普段の睡眠とは全く異なる状態の脳を創り出しているのである。
また新薬の開発もしかり。明確な理論構築があって薬をデザインするのではなく、ある程度の目星をつけて各種作ってみる。シャーレの中、試験管の中、専門用語ではインヴィトロ(in vitro)の実験をくり返す。そこで少しましな結果が認められたものを選択する。次は動物を用いインヴィーボ(in vivo)の実験をくり返す。その時点で最も効果のありそーなものを選択し、コンピューターを使って言い訳めいた理論構築をあとづけで作成し、人間に投与すべく治験申請を行う。そう人体実験が始まるのである。エイズの新薬開発も同様である。アメリカのスーバーコンピューターを使う為に研究者は日本を出て行く。気の遠くなる程のシュミレーションで的を探すのである。
それをもって科学的と言うのであれば、本来の科学は名称を変え「真理学」もしくは「理論実践学」とでも言わなければならない。
さて、東洋医学のみならず民族伝統医学というものは長い歴史の中で幾多の病いを治し、人々を癒し検証され残ってきたものである。中には弊害をもたらし淘汰されたものもあるはずだ。しかし数千年を経て受け継がれている事実は大きい。また生薬煎じの液体を化学成分分析しても、あまりに種類が多く(数100〜数1000種類)どの成分が効いているのか不明であることが殆どだ。グリチルリチン酸とかベルベリン※注等は解明されているが、経験上それだけではないと私は感じている。
西洋医学も東洋医学も同じようなものだ。さ程科学的ではないと私は思っている。経験則を第一義にしている所は同様である。かつての開国時、及び第二次大戦終了後に流入してきた西洋文化と、我々日本人が持っていたものとのギャップにうろたえた民族意識が、今なおどこかに棲息しているように思える。西洋と名がつけば科学的と思ってしまう洞察の無さは、盲目的信仰のように見える。
私は医学を真に科学に近づけたい。波動エネルギーを拠点とし、身体つまり物を存続ならしめる機序と変化をもたらす作用を解明したいと思っている。
21世紀の科学は恐らく物理学が先導し、この世界の本質に対する認識を少し変化させて真に人類に寄与しうる意識改革を後押ししてくれるであろう。愚行から善行へ。分離感から同胞感へ。この地球人類が衰退せぬよう、賢明な民へと一歩進化しうることを願って新年を迎えよう。
※注:グリチルリチン酸は甘草という生薬に含まれ、抗炎症作用などが報告されている。ベルべリンは黄柏などの生薬に含まれ、抗菌作用などが報告されている。